つぎはぎ日記

思考の断片

「女性らしさ」のジレンマ

最近の気になること

女性が働きやすくなるために、どのようなことを企業に求めますか? : 編集部からのトピ : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 「古い女性像」というのが世間一般の大半を占めていて、一大勢力を誇っている。思うに、この古い女性像へ迎合することが「女性の働きやすい職場」で「女性らしく働く」ことではないか。

たとえば、男女平等とは「能力のある人間雇うこと」とされているが、その「能力」が男性目線で語られているとなると本当に平等と言えるか?

「女性らしく」という考えそのものが、男性社会を基に作られた幻想ではないか?これはパラノイアなんかじゃなく、間違いなくそう言えることではないか?

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ところでフェミニストには大きく二種類あって、完全な男女平等を訴えるラディカルフェミと、男は男らしく、女は女らしくというナチュラルフェミがある。

男女の性差をなくそうという目的は同じだが、決定的な違いがある。極端な話、ラディカルは男女の境界を無くそうとしている。対してナチュラルは女性と男性の境を明確にしようとする。

前者は男性性・女性性の役割をあいまいにする危険をはらんでいる。一方で後者は旧態依然とした女性像に囚われたままになるのではないかという懸念がある。

皮肉なことにラディカルフェミのやり口は極めて男性的である。

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動物には女系社会を築くものがいて、これを見てると雌雄の違いは関係なく、肉体的な優劣が社会の基盤になっているように思える。肉体が言葉に置き換わっただけで、この動きは果たしてごく自然なものかもしれない。

取りやすいとされている資格を取ること、社会的に女性であれば有利とされている職業に就くことで、それが自分の意思にそぐわないとしても、人生をうまく進めていくことはできるんだなーと感じる。

理想と現実、どっちを選べばいいんだろう